七言絶句 「題不識庵撃機山図」
不識庵撃機山図 賴 山陽
鞭聲肅肅夜河を過る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一劍を磨き
流星光底長蛇を逸す
【詩 形】 七言絶句
【押 韻】 下平声・歌韻(河) 、麻韻(牙・蛇)
【詩の心】
上杉謙信の軍は馬にあてる鞭の音もたてないように静かに夜に乗じて川を渡った。武田方は、明け方川霧の晴れ間から上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然面前に現れたのを見て驚いた。
しかし、まことに残念なことには、この十年来、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃がキラツと光る一瞬の差で強敵信玄を打ちもらしてしまったことだ。
不識庵は上杉謙信、機山は武田信玄である。
『「ベンセイシュクシュク」は、詩吟の定番であり、真髄でもある。詩吟を知らない人でも、また日本人の多くの人がこの漢詩だけは聞き覚えがあり知っていると思う。日本漢詩紀行(渡部英喜著)の中の中部の「うた」の一つでもある』と、詩吟の恩師である伊藤岳寶先生も会誌の巻頭言の中で述べられてましたように、これは頼山陽のあまりにも有名な漢詩『題不識庵撃機山図』である。
平成21年のNHK大河ドラマ「天地人」が、上杉謙信に仕え、薫陶を受けた武将、直江兼続を主人公にして謙信の居城である春日山城を舞台に放映されているが、時代はこの川中島の合戦より10年程後遅れた、武田信玄亡き後のことである。
【語 釈】
鞭 聲 馬に当てるむちの音
肅 肅 静かなさま
千 兵 多数の兵
大 牙 将軍のたてる大旗
遺 恨 残念、無念
流星光底 流星の飛ぶ光のごとく剣を抜きて切り下げた時の剣のひらめく 一瞬
「低」 は、剣のひらめきを流れ星にたとえた語
長 蛇 目指す大敵、ここでは信玄を指す
【川中島へのアクセス】
三重県方面から志賀高原に行く途中、上信越自動車道を「長野IC」を出て県道35号線を長野方面に進むとすぐ千曲川に掛かる松代大橋を過ぎると、すぐに篠ノ井バイパスの「古戦場入口」交差点に出る。この交差点の手前右手が現在「八幡原史跡公園」になっている八幡社地がある。 この八幡社は、山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡としてこの地に勧請したと伝えている(『甲越信戦録』より)。
ここから、犀川と千曲川との合流地点にある落合橋、屋島橋までの一帯の三角状の平坦地が川中島古戦場である。 内陸の長野市南郊のこの場所は春夏秋冬がはっきりし、秋は紅葉が綺麗でよく川霧が発生するところでもある。
【川中島の戦い】
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日本の戦国時代に、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。
主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶが、実際に「川中島」で戦闘が行われたのは、第二次の犀川の戦いと第四次のみであり、一般に「川中島の戦い」と言った場合、最大の激戦であった第四次合戦、永禄4年9月9日~10日(1561年10月17日から18日)を指すことが多い。(これには他にも異説がある)第一次合戦:天文22年(1553年)
第二次合戦:天文24年(1555年)
第三次合戦:弘治3年(1557年)
第四次合戦:永禄4年(1561年)
第五次合戦:永禄7年(1564年)戦いは、上杉氏側が北信濃の与力豪族領の奪回を、武田氏側が北信濃の攻略と越後進出を目的とした。結果として両者共に目的を果たせなかったが、武田氏の支配地は着実に北上している。
起句は、上杉軍の大軍が夜霧につつまれて川を渡る情景をイメージしながら静かに詠じ、転句からは武田を取り逃がした無念をこめて力強く吟じたい。
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